ミッキーのジャックとまめの木
「ジャックとまめの木」のミッキーマウスヴァージョン。
ハードカバーの重い本を、いま、次男はお気に入りで、ほとんど毎晩読まさせられる。A4ほどの大きさのハードカバーで、中身も重量感がある。いまは、ソフトタイプしか売っていないようで、本屋でも見かけない。たまたま古本屋で、この本と、「くまのプーさん」「白雪姫」などをみつけ、なんか懐かしくて買ってしまったものだ。
でも、この本、夜、寝しなの読み聞かせにはちょっとツライ。横になって持ち上げて読んでいると重くて手がさがりそうになる。しかも、眠気もあり、ふと手の力がゆるむとこどもや自分の頭などに落っこちてくる!その痛いこと!!
私がそれこそ次男くらいの頃、「白雪姫」にはまり、毎晩読んでもらっていたそうだ。しかも、1字1句覚えてしまい、母が読み間違えると「ちがうよ!」と怒っていたらしい。母はそうとう大変だっただろうと今頃になって思う・・・。
閑話休題
この、「ミッキーのジャックとまめの木」は、いわゆる「ジャックとまめの木」とはストーリーがちがっている。
本来の「ジャック〜」は、怠け者で貧乏のジャックが、最後に残った雌牛を魔法のまめととりかえ、そのまめによって雲の上の国に行けるようになり、そこで、大男の持ち物である、金の卵を産むにわとりと、魔法のたて琴を盗み出し、貧乏を脱出する話だ。(かなり乱暴なあらすじだけど・・・)
「それって、ドロボウじゃないの?」という疑問が前からあった。ヨーロッパの民話は、日本人である私には「え〜?!」というものも多い。「ジャック〜」もその1つだった。
ところが、「ミッキーヴァージョン」では、ストーリーが全く違っている。主人公はミッキー・ドナルド・グーフィーの3人。3人が住む「幸せ谷」は、魔法のたて琴によって作物が育っていたのだが、大男がそのたて琴を盗んだため作物が枯れ、3人も食べ物がなくなってしまう。そこで、雌牛を売りにミッキーがでかけるが、魔法のまめ3粒と換えてきてしまう。そのまめによって、大男の住む世界へ行くことが出来、たて琴をとりかえし、また幸せ谷に平和がもどる。というストーリーになっている。
これは、とってもわかりやすい。すっきりしている。主人公は善。そして善は善でしかないし、悪は悪でしかない。そして善は悪に勝つ。
いまは、こどもたちには「勧善懲悪」的なストーリーのほうがむしろ良いだろうと思っている。私自身、未だに本来の「ジャックとまめの木」を「ラッキーな幸せってのもあるのさ」と納得できるわけではない。文化の違い?国民性?そう探求していくと深みにはまりそうなので、いまは、「ミッキー」と一緒に、「悪いことをしてはだめだよ」とこどもに教えている・・・。