My Sweet Home

いつも笑顔で気持ちよく

2021年5月13日
から yuzo
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「愛がわからない」もテモテ通信2021年イースター号より

 丁寧な言い方をすれば、孤独という表現が適切かもしれません。

自閉症スペクトラムという特性が明らかになった今は、孤独であるということが私自身の特性に起因しているのだろうという理解をしています。人の心がわからないというのも、もう一つの表現でもあります。

多くの人がそうであろうと考えている「共感」というものが欠落しています。じゃぁ何をどうやって理解しているのかというと、これもまたわからないわけですけれども、もの凄く冷静に他人事として捉えているように感じます。

よくある表現に「人の痛みに寄り添う」という「人の痛み」というのも正直わかりません。他人の悲しみや苦しみ、痛みに共感するという感覚が欠落しているのでしょう。ですから、多くの場合はなかなか共感するのは難しいです。妻の気持ちに寄り添うこともとても困難です。

物心がついたときにはすでに日々暴力を受けていました。親の温かみという記憶や感覚がありません。手を繋いだ記憶、おんぶや抱っこされた記憶、温かい家庭という記憶。記憶にあるのは、殴られ、罵声を浴びせられ、正座をさせられ、いつまで経ってもその場から自由になることが許されなかった小さな頃の記憶です。

泣きながら「やめて」と叫んでも止むことなく、殴られながら「このまま呼吸が止まって死んでしまえばいいのに」といつも考えていました。幼稚園に行くよりも前の年齢だったかもしれません。

物心がついたときには、すでに孤独を感じていました。この世界で自分一人しか存在しない世界。だれも助けてくれることなく、理解されることもなく、ただ一人で呼吸をしている。そういう世界が私が見ているこの世界です。この感覚は今も大きく変わる事なく、見えない壁の中で一人で生きている感じです。

こうなると、他人のことがわからないだけでは収まらずに、他人から受ける事柄を上手に受け止めることが出来ません。

「ありがとう」という言葉を言えるようになったのはいつからだっただろうか。2007年頃にうつ病で暗闇の中を歩み、暗闇から出てきた頃から「ありがとう」という言葉を言えるようになったと思います。それまでは人を疑い、何か私にはわからない裏があるんじゃないか、なんで私のために尽力してくれるのだろうか、私は何も返すものは無いのに。と思っていました。

正直に言えば、いまもこの考え方が抜けていません。でも、素直に「ありがとう」と思えばいいんだ。素直に「うれしい」と表現していいんだ。と50才を迎えるおじさんが感じるようになりました。

妻からたくさんの愛を受けているのだと思いますが、いまもって何が愛で、何を受け取っていたのかわかりません。妻からさえもわからないのですから、他の人からの愛というものもわかりません。

神の愛はわかるのですか?と問われたら「はい、10年祈り続けたら妻と結婚出来ました。」と。神さまには2000年の結婚式の時に感謝をしました。

その結婚式で妻は、「結婚の誓約の言葉が言えないかもしれない」と立会人の方に言ってからバージンロードを歩いたそうです。

2021年5月13日
から yuzo
「文系?理系?いや、それ以前の問題です。」もテモテ通信2021年新年号より はコメントを受け付けていません

「文系?理系?いや、それ以前の問題です。」もテモテ通信2021年新年号より

書字障害という障害を持っていると、とにかく色々と大変です。

ペンを持って字を書くという行為は、頭の中で文章を考えた上で、文字を思い起こし、それを手を動かして文字にするという最低でも三段階の行為が伴います。実際にはさらに途中に細かな行為、例えば「てにおは」が微妙に違えば文章を差し替えるように頭の中で組み立て直すという、行ったり来たりの思考作業が発生します。

文字を書くにあたっては、文字の構造であるヘンとつくりの位置関係を思い起こさないとなりません。

とにかく複雑すぎて、字を書く行為そのものに意識が向いてしまうと、今度は思考が止まってしまい、書きたいことが思い出せません。思考と行為がどうやっても一致することが難しいのです。

運動音痴とも関連があるように感じています。運動は概ね不良です。思考と行動を一致させることがどうやっても上手くいきません。

ボールを真っ直ぐ投げることが出来ません。飛んできたボールを打つことも出来ません。どうやったら上手に出来るのかも全くわからないままです。

それでもJリーグサッカーの指導者資格と審判資格を取得しました。実際のサッカーそのものはやっぱり不得意です。

唯一出来るのはスキーとスノーボードです。唯一ではなく唯二かも。

先日、年賀状の礼状を書くためにペンを取りました。「寒中お見舞い申し上げます」と書きたかったのですが、一文字目の「寒」という文字がちゃんと書けず、一枚目からはがきを無駄にしてしまいました。結局、妻に書いてもらい、私は署名だけを書いてはがきを投函しました。左右が逆になったり、ヘンとつくりが逆になるのはいつものことです。

いま、この文章を書いているのはパソコンです。パソコンが無ければこの様な文章を書くことも出来ません。思考がそのままに近い状態で文字化されるというのは、ストレスが少なく、思いのままに書くことが出来ます。とは言ってもこのパソコンでの文字化作業も、ストレスからの解放が目的ですから、文字入力はATOKという日本語入力ソフトを使わないとストレスだらけで、やはり文字化することが出来ません。

ATOKとは1987年からの付き合いですから16才の頃から約34年もの間、パソコンでの文字入力に助けられています。

しかし、当時も今も手書き文字での提出物が多い現実に、つねに困難がつきまとっています。ウイリアムス神学館でのテストもすべて手書きでした。ほとんどの解答はひらがなとカタカナばかりの解答用紙だったと思います。事前にテスト内容がある程度知らされているテストに関しては、あらかじめ解答文をパソコンで作りイメージで記憶します。それを書き初めのように何度も書き出し、テストの時には、イメージで文章を書き出すという、テストを受けているのか、記憶テストを受けているのかわからない状態になっていました。

物語がわからない、字が書けない、文章という仕組みとの相性の悪さ、なかなかやっかいな世界で今日も生きております。 

2020年11月12日
から yuzo
「物語を理解できない」 もテモテ通信2020年オータム号より はコメントを受け付けていません

「物語を理解できない」 もテモテ通信2020年オータム号より

「物語を理解できない」

映画が好きで、ジャンルを問わず様々な映画を好んで見ています。ところが多くの映画のストーリーが良くわかりません。

さらには映画を見終わった後に「で、主人公は誰?」と妻に聞くこともあります。

また、演者の名前は知っていても、映画の中の名前はほとんどの場合わからないまま見終わります。

ですから、物語中の名前で映画の話をされると、一体誰のことなのかわかりません。

同じように書籍の文章を読むことも、多くの場合は理解が困難です。ところが映画と同じように本が好きで、手に入れては積ん読状態に。

物心ついた時にはこの様な感覚でしたから、文章についての感想を求められると、まったく理解できずに、苦しい時間でしかありませんでした。読書感想文はまったく出来ませんでした。感想がないのです。

どのように映画を見ているのだろうか、どのように文章を読んでいるのだろうか。と考えてみますと、物語の中の、その瞬間の場面や出来事を一枚の写真のように捉えて、ドキュメンタリー写真のようにリアルな事柄として受け止めて、咀嚼しているような気がしています。

日常の生活においても同じような感じ方をしているようで、目に見えるものはその瞬間瞬間の画像として認知しているような気がしています。そこにある事実だけが存在して、その事実をそのまま受け入れる、そんな感覚です。

聖書を「読む」ということも同じように困難が伴います。そもそも登場人物がまったくわかりません。その関係性も理解できません。その上で、当時の修辞学によって書かれた作品が、さらに日本語に翻訳されている状態ですから、まったくもって理解不能な状態です

ウイリアムス神学館での学びは、この聖書なるものを丁寧に教えていただけるものと考えていましたが、聖書の内容の一つ一つについて丁寧に学んだ記憶がありません。

各科目の先生方が教えてくださっていたのは、聖書を読み解くための方法でした。旧約聖書の教授はリアリストでありながら信仰的理解をする方で、「この人はそもそもいなかったでしょう」「こんなことを言うことはないです」「作り話です」と聖書をバッサバッサと切り捨てていきます。

しかし、聖書として記されたことには意味があり、書き記した人たちがどのような思いや背景で書き記したのかを研究すると、伝えたかった本質が見えてきて、その中から信仰の本質を読み解くことが出来るということを教えていただきました。

聖書の読み方を知ると、興味深く聖書を読むようになりますが、いわゆる文学の深く広い世界が、どこまでもどこまでも留まることがない世界として立ちはだかってきます。この深く広い世界が面白いと感じると、文学に興味を持ちどこまでも歩き続けることが出来るのでしょう。

愛読書はなんですか?と問われると、、、見つかりませんでした。いつか「聖書」と応えられる日が来ることを望みたいと思っています。

 

もテモテ通信2020年オータム号より

 

もテモテ通信_2020オータム号