日本聖公会 神戸教区 中高生大会 8月17日(水) 朝の礼拝 証し

「日本聖公会 神戸教区 中高生大会 8月17日(水) 朝の礼拝 証し」

中高生大会とは
日本聖公会神戸教区の中高生たちが自ら企画運営するサマーキャンプ。今年で53回目。
毎年テーマを決めて、テーマに沿ったディスカッションを学年別・縦割りグループで行い親睦を深める。
ほかに、球技大会・大運動会・バーベキュー・キャンプファイヤー・伝統の肝試しなどが行われる3泊4日の大イベント。このキャンプを通して教区内の親睦が深められ、多くの聖職者が輩出されている。

第53回の今年のテーマは「#らしさ」でした。


「らしさ」というものは誰が決めるのでしょうか。
私は、孤独の世界で生きていると思っています。どういうことかと言いますと、多くの人たちが生きている「普通の世界」とは別に、私が生きているのは「普通の世界の外側」と言う場所で一人でポツンと立っている感じです。

そしてそれは、「普通の世界」とは違う場所から「普通の世界」をいつも外側から見ている感じです。電車に乗っていても、教室で席に座っていても、だれかと食事に行っても、私一人が「普通の世界」の外側から「普通の世界」を見ていて、たまに、普通の世界の人たちと会話をしているという感じです。

それが私にとっての「普通の世界」であり、多くの人たちがみんなで楽しそうだったり、ワクワクだったり、苦しそうだったり、一生懸命周りの目を気にして生きていることが、良く理解できません。

「普通の世界」の常識というものが良く理解できないのです。理解できないと言うよりも、なぜ、みんなで同じような事をしたり、些細なことでおこったり、いかったり、憎んだりするのかがわからないのです。この様な世界観は私だけではなく、子どもの時の家庭環境が原因で、普通の世界とは別の感覚をもって生きている人たち、というのがそれなりに居ると言うことが最近わかってきたそうです。

そのためかどうかわかりませんが、大学・高校・中学ともに行っていないので、友達という関係も良くわかりません。ナイスガイというタイプの人生規範から見事に外れています。それでも素敵な女性と出会い、家族と共に生活できているのは神様のなせる技なのでしょう。

今から8年前に心が壊れかけてしまい、どうにも生きていくことが難しくなってしまうことがありました。その理由は職場関係にあったのですが、私に対して、私には理解できない振る舞いを求められたり、私にとってつらい発言や行動を求められたりしたことが原因でした。お客様はみなさん喜んで下さり、期待をされているのに、その期待を裏切るような振る舞いや行動を求められていたのです。

同じような事柄が聖書にも出てきます。ルカによる福音書第10章38節からの、マルタとマリアの話です。イエス様と弟子たちがマルタとマリアの姉妹の家を訪れたとき、二人とも大喜びでイエス様一行をもてなす話しです。お姉さんのマルタはおもてなしのために一生懸命働き、その準備に大変だったのでしょう。ところが妹のマリアは一生懸命に働くこともなく、イエス様の足下に座って、イエス様の話を聞いていたのです。

イエス様が尋ねてくると言うこんなハッピーなことはないのにも関わらず、このお姉さんのマルタは、妹のマリアの態度にイライラし始めて、イエス様に不満をぶつけてしまいます。「主よ、私の姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何とも思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」マルタはイエス様がマリアに注意してくれることを期待したのでしょう。しかしイエス様は「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要な事はただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と応えました。

この話しの大切なことは、イエス様は不満をのべたマルタを批判していないと言うことです。2回もマルタ、マルタと呼びかけて、マリアは良い方を選んだんだよと、多くのことに思い悩んで心を乱してしまったら、せっかくマルタ自身が働いて奉仕している意味が、自己満足になってしまい、イエス様のため神様のために働いているのではなくなってしまいますよと。

さて、今朝読まれましたエフェソへの信徒への手紙第4章16節には「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」と書かれています。分に応じて働くことが大切なのです。

このことに私自身が気がついたとき、他人の行いや行動に対して、不満や不平を持つことから開放されて、「そういうこともあるよなぁ」「その人なりに何か考えがあるんだろうなぁ」と、不満や不平を持つことがすっかり少なくなりました。

このようにマルタのような見方で他人の事を見てしまうと、相手を自分の都合の良いようにしようとしてしまいます。「あなたのためを思って言っているのよ」「あなたにとって良い事だと思うのよ」とか。
マルタはイエス様に訴えたから「マルタ、マルタ」といさめられたのですが、私たちはイエス様が目の前に居ないために、その本人であるマリアに対して、つい、「マリア、あなたも働きなさい、あなたのためを思って言っているのよ」と口から出そうになってしまいます。

しかし、神様は私たちを神様に似せて作られたのです、その上で一人ひとりを違う人として作られ、その一人ひとり違う私たちを愛してくださっています。人の目を気にして、空気を読んで、自分の思いとは違う働きをしていたら、せっかく神様が一人ひとり違う存在としてこの世に生まれさせてくれた意味がなくなってしまいます。

「らしさ」というものを考えるとき、周りの目や他人の思いに惑わされることなく、自分が、そのままの自分で良いんだ。そして、自分がそのままの自分で良いんだったら、他人もそのままのあなたのままで良いんだ、神様はそういう一人ひとりを愛してくださっているんだと、信じることによって、キリストの平和が実現していくのだと思います。

神様が私たち一人ひとりを違う人としてこの世に生まれさせてくださった、ということの意味を考えながら、中高生大会のテーマ「#らしさ」について思い巡らしていきたいと思います。
父と子と聖霊によって、アーメン。


大会旗

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