2016年8月8日 黙想 「的を射る聖書」

2016年8月8日 黙想 「的を射る聖書」

神学校の1学期が終わり、夏の実習が始まった。

神学校は京都にあり、3年という期限の中で生活しているので、先が見える状態で生活しているとも言える。

夏の実習は所属先の神戸教区にある神戸聖ミカエル教会。西日本での生活。

生まれも育ちも東京都品川区、生まれ育った街を離れて暮らすということに一抹の不安を覚えるようになってきた。
自分が一番不安だと思うのだが、結婚して16年、子どもたちも品川で育ってきた。生活する場所が変わるとは予想もしていなかった上、近いところではなく西日本へ、いろいろな思いが交錯し、時たま不安に襲われる。

妻に不安を打ち明けたところ、妻は街を離れることへの不安はほとんどないという。改めて妻のありがたさに感謝している。子どもたちがどの様に思っているのかは、今のところ良くわからない。

不安というのは、本当にやっかいであり、何も根拠の無いところから悶々としたものが沸き上がってくる。
この様な不安が時たま表れては消えるような日々を送っているのだが、今週の使徒書にこの不安に対するメッセージが記されていた。

日曜日のミサでも聞いているはずなのだが、気になることなく過ぎて行ってしまったようだ。

今日8月8日の朝のミサで私が使徒書を読んだことによって、メッセージを聴き取ることが出来た。

今週の使徒書「ヘブライ人への手紙第11章1-3,8-16」

1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。
10 アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。
11 信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。
12 それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。
14 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。
15 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。
16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

私の不安は、この使徒書に書かれているとおり、アブラハムのように土地を出て行くように召され、行き先も知らずに出発することへの不安だった。

15 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。
16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

と、まさにその通りであり、出てきた土地のことを思い、戻る良い機会はこの先、幾度となく出てくるのだろう。

しかし、「天の故郷を熱望していたのです」と記されているように、天の故郷を求めることに欠けていたのかも知れない。
天の故郷を探し求められるように日々黙想をしていきたいと思う。