パンデミックの先の教会 -もテモテ通信 Vol.9 2021- 2022ウィンター号-

 パンデミックの世界で生きていく事になって2年目を迎えました。マスクが不要になる世界が来るのかどうか、それともマスク着用が靴下着用と同じくらい普通のことになって行くのか。

イエスが行った三つの柱は、教育と医療と供食でした。

教えと癒やしと食(パン)です。

キリスト教はイエスの行ったこれらの三つの柱を中心に宣教活動を行ってきました。

明治時代に日本に入ってきたキリスト教も、これらの三つの柱を中心に宣教活動を行ってきました。

学校や病院を建て、貧困層への救済活動を行い、さらにそれらのパトロンを獲得するために富裕層への宣教も積極的に行ってきました。これらの名残によって今の教会が残っているとも言えるでしょう。

教育は学校が担い、医療は心身ともに専門医療の分野になりました。

心の癒やしも専門医療分野によって担われています。

そして食は資本主義社会に於いては経済活動の一つです。

子ども食堂が増えていますが、本来は私たちの税金を使い、政治によって貧困対策が行われ、生活困窮者の支援が行われなければなりません。民間の善意によって救済していることは、この国の政治経済の貧困の表れでしょう。

昔も今も、私は教会委員会を始めとして教会活動の50歳定年制度を表明しています。

すでに私も50歳になり自意識では定年を迎えます。

50歳になって良くわかるのは、30代20代、さらには10代の生きている世界が、私の見ている世界と全く違う世界だと言うことです。

40歳になった時に強く実感しましたが、教会が50歳以上の人たちで運営されている限りはその将来は明るくないという現実です。

10代20代の人たちが集う仕組を作っているのは良いところ40歳代まででしょう。

教会の将来を見据えた活動を行うには、50歳未満のメンバーで運営していく必要があります。

「人がいないんですが」と言われたことがありますが「それは育ててこなかったんです」と答えました。

若い人たちが運営している教会で、ニコニコと後ろから支えるキリスト者でありたいと思っています。