人は知らないうちに役に立っている。 事もある、、、

 人というものは、知らないうちに人の役に立っている事がある。

ごくごくありふれた一言を言ったつもりで、本人も忘れてしまっている一言。

そんな一言が、その人の人生に少なからずお役に立っていることがある。

 ある方から、タッチタイピングを進めてくれたのが私だと教えていただいた。

その方は、だんだんと視力が弱くなり、最後には盲目になってしまう病気を持っているとのこと。

パソコンを始めるにあたり、タイピングが問題になる。

 そのうち見えなくなってしまうなら、最初から見ないでタイプしていれば、目が見えなくなっても、とりあえずはタイピングに関しては問題ないだろうと考えた。

 

 それよりもWindowsを使うにあたりマウス操作が困難になってしまうことの方が重大に感じていた。

 

 深く考えたわけでもない、現実に沿った一言を言っただけだった。

 未だに、「マウス操作ができなくなってしまうことの重大さ」の方が気にかかっているのだが。

 その方は、タッチタイピングを修得したおかげで、文字を打つことに関してはものすごい勢いでタイピングしているらしい。

 私など、未だにキーボードを見ながら入力し、挙げ句の果てにタイプミスまでしているというのに。

 何気なく話した言葉が、相手の役に立っている事があるということは、その逆もあるわけで、私の放った何気ない一言で傷つけ、去っていった人がいるのかもしれない。

 常に気を使いつつ話をするのは、困難であろう。

 しかし、相手の気持ちを考え、思ったことを一呼吸置いてから発言すれば、役に立つことが出来るかもしれない。

 人の役に立つというのは、とても気持ちのいいことだと思う。

 それは決して意図的に実行されるものではなく、普段の生活の中からにじみ出すものでありたい。