イギリスやアイルランドにケルトはいなかったという話
聖公会に属するキリスト教会にいると、宣教元の英国聖公会の歴史がその起源になる。
そして、英国聖公会の歴史になると、カトリックから分離してからのアングリカンといわれる聖公会の歴史と、分離するより遙か前の”ケルト”と呼ばれていた人たちの土着宗教と、はるか昔にブリテン島に宣教をしにきたカトリックが融合した、”ケルト・キリスト教”なるものが、聖公会の起源として語られてきた。
そしていまも、まだ語られることが多い。
しかし、アイルランドを中心とした”ケルト”神話は、概ねそのすべてが誤りだったことがほぼ確定している。
大陸に存在したケルト人と、アイルランドにやって来たと言われていた”ケルト”人は、接点がないばかりか、遺伝子レベルでも文化レベルでも、様々な意味で全く関係がないということが明らかになっている。
聖公会の起源に”ケルト人”の宗教を持ち出すようなことは、概ね不適切であり、「アイルランドやブリテン島にもともと存在していた文化や宗教観が、その後の聖公会の宗教観と融合してきた」という、”ケルト”を持ち出さずに、土着の文化・宗教観で説明すれば良いだけのことである。
なんとなく持っている”ケルト”に対するロマンが、いまも生き続けていることが問題なんだと思われる。
日本ケルト学会という学会組織があり、興味深いことに、ブリテン島におけるケルトが否定されたことを認めた上で、そのケルトなるものに対する考察を丁寧に続けています。
ケルト学会誌に掲載されていた、諸論文から
田中美穂著
『島のケルト』再考
アイルランド人の起源をめぐる諸研究と「ケルト」問題
J-Stageに掲載されている田中美穂氏のケルト検索結果
https://www.jstage.jst.go.jp/result/global/-char/ja?globalSearchKey=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%BE%8E%E7%A9%82%20%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88
詳細に論考されているWEB
「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
「島のケルトは実はケルトじゃなかった」から派生する諸問題~ケルト神話がケルト神話じゃなくなります
上記WEBメールページをPDFで保存したもの
聖書が史実を書き記していないというというだけではなく、歴史そのものが様々な要因で創作されてきて、それを信じてきた歴史がある。
それらが様々な形で検証されていくなかで、歴史的事実が見えてくることによって、歴史そのものが修正・訂正される。
自分が信じてきたものを「失われる」と感じるのか「新しい知見」として受け入れるのか、心の有り様が反映されるのだと思っている。